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展示案内

第II展示室:民俗

第II展示室:民俗01

むしろや衣類に醤油・味噌、何でも手作りしていた農家の暮らしを再現。そこには現在は失われてしまった様々な技術や生活の知恵がありました。

第II展示室:民俗02

年中行事はその折々に展示替えをしています。生活様式の変遷により、人々の心に残された風物も忘れられてゆきます。

第II展示室:民俗03

火消しは今も昔も地域の人々の団結が求められます。

語りつがれる伝承

永長市左衛門画「迫呼迫呼地蔵(ほいほいじぞう)」
▲永長市左衛門画「迫呼迫呼地蔵(ほいほいじぞう)」

南朝方に協力したことを罪に問われ、処刑された近隣の村々の役人13名の後を追い、阿波崎村の役人「根本六左衛門」が、まさに斬られるというその時、空中に地蔵菩薩の影が現れたという場面が描かれています。迫呼迫呼(ほいほい)とは、処刑を済ませ小野川を渡ろうとする北朝方の武将を呼び止めた六左衛門の悲壮な叫び声であり、後にその声を聞いた人々が地蔵菩薩像を建立して六左衛門の霊を慰めたと伝えられています。
古渡橋のたもとの「ほいほい地蔵」、神宮寺の「十三塚」など地域に伝わる伝承の多くは、中央の歴史には無い、この地域の先人達の生き様を今に伝えています。

鍛え抜かれた匠の技

鍛え抜かれた匠の技
▲脇差 表銘 常州住英定作 裏銘 天正(以下切)/室町時代末 (旧赤羽刀)
長さ:38.0cm、反り:1.0cm弱、元幅:3.15 cm、茎:13.6 cm。
刀の形状:平造、庵棟。

英定は常州高田郷の刀鍛冶、岡澤九郎兵衛家の当主と考えられています。天文22年(1553)、江戸崎城主・土岐治英が、鍛冶の大工頭岡澤九郎兵衛方の又二郎に「英」の一字を与え、英定の名乗りを認可したことを示す史料が存在しています。刀の裏銘にある「天正」(1573~1592)の年号と史料に見える「天文廿二年」(1553)の年代から両者は同一人物と推定されています。
この脇差は連合国占領軍の接収刀剣類、通称“赤羽刀”の1つで、全国の公立博物館等に国から譲与されたものの一つです。このような資料の由来にも「刀」をめぐる我が国の歴史的経過がうかがえます。

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